放浪するもの 行進と休息 革の紐でつながれた四つの箱、のような家具
革の紐でつながれた四つの箱、のような家具
おもちゃのようでもあり、家具のようでもあり、シェルターのようでもあり、・・・。
私たちは、自分の周りのものに「名前」をつけることで、その世界を理解している。
しかし、その分類方法は何に由来しているのだろうか?
そんなことを考えてつくった家具、のようなもの。
放浪するもの 行進と休息
展覧会 / 第二回 kagu-カウンシル家具会「分類すること」 出品
デザイン:小形 徹 * 小形 祐美子 プラス プロスペクトコッテージ 一級建築士事務所
2000/07/16~08/06 Gallery Living Sphere(両国)
掲載:新建築2000年9月号/新建築社、ザ・カード2001年6月号/ザ・カード株式会社
「箱」
箱は何かを入れるための枠組であり、腰をかけるための枠組であり、何かを運搬するための枠組であり、その他の目的のために使用される枠組である。
この枠組として採用された立方体は、最も非目的的な様をそこに含有する抽象的枠組である、という意味においてここで使用されている。あるいは、それを構成する各点の距離の比が等しい三次元座標軸上の立体格子、無限に分割され、あるいは無限に増幅されていく空間の断片でもあるかもしれない。
しかし、その枠組が実際に目的を持った時、それが有効かどうかは、その場の判断を待つ必要がある。
「四つの・・」
われわれは、われわれが想像できる世界を様々に分類してきた。
昼と夜。男と女。生と死。心と身体。密教曼荼羅における胎蔵界と金剛界。易学においては、陰と陽。キリスト教における三位一体論「父」・「子」・「聖霊」。プラトンは宇宙創生の四元素として、G.バシュラールは、想像力の領域において、火・空気・水・土による分類を行った。等々。
このように世界を幾つかに分類するという行為は、それをどのように理解するのかという問題を意識したときから、われわれが行ってきたことである。
したがって、今ここに提示された四つの箱がいかなる分類を示しているのかと問われれば、……。
「革の紐」
ここで示されている革の紐やそのディテールは、箱での思考とはまったく正反対に、常に具体的なイメージや感覚をわれわれに引き起こす。
革は動物の皮膚であり、革の紐はその一部である。皮膚はその内実をそのなかにつなぎとめ、輪郭を与え、それを維持する組織である。そしてその表面は、内的な変化と外的な変化の接する面として、傷や痕跡がそこに残り、最後には朽ちていくものでもある。このような革の紐が四つの箱をつなぎとめる。
それぞれの箱は独立して存在しつつ、同時に一体のものとしてそこに提示される。
革の紐の一方の端は壁面につながれ、また反対側の端は床に投げ出されている。
「革の紐でつながれた四つの箱」
“革の紐でつながれた四つの箱”は、これを使用しようとするものに対して、そのもの自らの知覚で認識されることを求める。
つまりそこに作動するイメージの喚起力は、現実に現れている表象に対して、動的なもの・変貌を求める力として、そこに現れているものに対し、別の側面からの経験と、そこからの抜錨を望む核心となる。
“革の紐でつながれた四つの箱”をめぐって引き起こされるこれらの事態は、様々な形式、想像力、およびその相互的関係の間において生起するコミュニケーションを求め、そのような状況を周囲に立ち現せる。
これにより、“革の紐でつながれた四つの箱”はそこを動き始め、その場所を自覚的に活性化する。
「家具」
そのことこそが、ものやものごとを位置付け、そこに重心を与え、場所を生み出すもの“家具”の働きなのではないだろうか。
「分類すること」
『分類すること』を問うことは、『分類すること』のプロセス自体を問うことである。
「放浪するもの 行進と休息」
われわれはこれに「放浪するもの 行進と休息」と名付け、そのポリフォニックなプロセス自体を『分類すること』への解答として提出する。
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